2017年9月4日月曜日

関光徳、サルディバルと戦ったシュガー・ラモス死去

  1960年代を彩ったボクサーの一人、シュガー・ラモス(本名ウルティミノ・ラモス)氏が現地時間3日午後、メキシコシティの自宅で亡くなった。75歳だった。長くガンの闘病生活を送り、それが悪化して2日前に背骨を骨折。病院から戻った矢先の出来事だった。ラモス氏の夫人がマウリシオ・スライマンWBC会長に伝え、メディアに通達された。

 ラモス氏は1941年12月2日キューバ出身。キューバ革命で祖国を去り、メキシコへ亡命。同じく亡命した後のウェルター級名王者ホセ“マンテキーヤ”ナポレス同様、メキシコでプロキャリアを再スタートした。

 63年ロサンゼルスのドジャースタジアムでデービー・ムーア(米)に10回KO勝ちで世界フェザー級王座に就く。ダメージを受けたムーアが試合後死亡するリング禍が発生。ラモス氏は殺人パンチャーと恐れられた。

 2度目の防衛戦は64年3月、関光徳と日本武道館で対戦。6回TKO勝ちで強さを見せつけた。3度目の防衛戦はアフリカ・ガーナでフロイド・ロバートソンに判定勝ち。しかしV4戦でメキシコのビセンテ・サルディバルに12回KO負けで無冠に。その後66年と67年、世界ライト級王者カルロス・オルティス(プエルトリコ)に挑戦したが、いずれもTKO負けだった。