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8.8リクルート社員と両立の日本S・ライト級王者が初防衛戦 情熱と冷静の藤田炎村インタビュー

2023年8月3日 17時25分

 8月8日、東京・後楽園ホールで開催される「ダイヤモンドグローブ」は中・重量級のダブル日本タイトルマッチ。メインの日本S・ライト級タイトルマッチは激闘、KO決着濃厚の強打者対決。伝統ある早稲田大学ボクシング部でグローブを握り、リクルートの営業マンとの両立で王者になった藤田炎村(三迫/28歳、10勝8KO1敗)が初防衛戦で、初挑戦でのタイトル奪取とリック吉村が日本ライト級王座を返上して以来、ジムとしては約23年ぶりの日本王座を狙う同級1位の大野俊人(石川/27歳、12勝11KO4敗2分)と激突する。

 常にボクサーとして遅いスタートの自分が立脚点にある。自身を客観視し、昨日より今日、自分が成長することだけに目を向けてきた。自分が誇れるのは「成長スピード」と胸を張る。熱いハートと冷静な視点で日本チャンピオンに上り詰めた。そんな藤田にプロボクサーになるまで、サラリーマンとの両立を含め、たっぷりと語ってもらった。(取材/構成 船橋真二郎)

藤田炎村

■まだ4回戦、新人の感覚で生きている

――4月26日にタイトルを獲った1ヵ月後、5月20日の墨田区総合体育館のイベント後の囲み取材で「日本チャンピオンになって、危機感しかない」と話していたのが印象的でした。

藤田 日本チャンピオンになったとき、どういう感覚になるのか想像できてなくて。実際、どう思ったかというと、まだ自分が倒さないといけない相手、負けるんじゃないかと言われるような相手が国内にいて。このままだとベルトをすぐに失う。そんな感覚ですね。

――そういう感覚にすぐに切り替わった?

藤田 獲って、その夜ですかね。やっぱり、寝られなくて。アドレナリンで。で、ベルトを見ながら、そういう相手を超えないと僕は本物のナンバー1にはなれない。そう思いました。

――では、タイトルを獲ったアオキクリスチャーノ(角海老宝石)戦を自分ではどう評価しますか?

藤田 まあ、赤点ギリギリというか。いくつかある勝ちパターンのうちの、いちばんやりたくなかった勝ち方だったなって。

――想定していたパターンではあるけど、ということですね。

藤田 そうです。想定したパターンの中だったのが、せめてもの救いで。

――攻めてくるアオキ選手を左構えにスイッチしての右フック一撃で仕留めたのは見事でしたが、そこに至る流れができたのはアオキ選手の右を効かされたからで。理想としては自分主導で展開をつくった上で、フィニッシュの一点に持っていきたかった。

藤田 事実としてはそうですね。あれを自分でつくりたかったです。というか、もっと他のパターンで勝ちたかったです。でも、試合は生ものなので。しょうがないかなっていう。

――あの状況になっても慌てず、冷静に狙えたことは評価できると。

藤田 そうですね。そこは自分の強みでもあると思うので。ただ、もし自分がファンとして見たとき、藤田が安定チャンピオンかと言えば、そうじゃない試合内容だったので。もっと固いものにしていきたいですよね。

――決して、湯場(海樹=ワタナベ)戦(2度のダウンを跳ね返して逆転KO勝ち)、アオキ戦と続いた派手な試合をやりたいわけじゃない(笑い)。

藤田 リスクが高い階級なので、いい勝負をしてちゃダメというのは競技者としては思います。プロとしては高得点ですけど(笑い)。

――ある意味、かなり高得点ですよね(笑い)。

藤田 はい(笑い)。だから、競技者としては、まだまだです。自分が1個、誇れるとしたら成長スピードで、すごい勢いで成長できてるんじゃないかなとは思います。ほんの3年前まで全日本(新人王決定戦)で負けたのなんだの、悶々としてたことを考えると、試合のたびに進化できてる実感があるので。

――すごい勢いで成長できる要因は? いろいろあると思いますが。

藤田 あ、1個しかないです。他人と比較しないんですよ。僕はボクシングを始めるのが遅かったから、最初からできないことが分かってるので、あいつのほうがすごい、あいつのほうが優れてるじゃなくて、自分が昨日よりどれだけ成長できるかに全集中してるんで。だから、(成長が)速い。それだけです。

――自分の強さ、弱さだけを見て。

藤田 そうです。別に自分はチャンピオンだけど、まだ4回戦とか、新人の感覚で生きてます。言ってもまだ11戦しかしてないし、アマチュアエリートじゃないし、比較しても劣ってるに決まってるんだから、自分が成長することにすべての労力を使ったほうがいいという考えなんで。で、なるべく主観じゃなくて、自分自身もトレーナー目線で、藤田という選手をどう成長させるのか、何が必要なのかを自分にアドバイスして、1個でもレベルを上げられるように。

■勝負以上に理想を追うつもりはない。勝ちがすべて

――大野選手に対しては、どんな印象を持っていますか。

藤田 危険な武器を持った選手ですね。で、初タイトルですよね。気持ちを出してくると思うし、それこそ、麻生(興一=三迫)さんにも競り勝ってるので、そういう強さはあるんじゃないですか。

――お互いにディフェンスに甘さがあって、パンチ力があると。その2人がぶつかったら、単純にスリリングで面白い試合になると、みんなが思っていると思います。それについては?

藤田 みんな、そう思うんじゃないですか(笑い)。そのとおりのパターンもあるし、そうじゃないパターンも僕の中にはありますね。まあ、判定の可能性はいつもより低いんじゃないですかね。こればっかりは生ものなんで、やってみないと分からないです。

――いろいろな勝ちパターンを想定して、試合に臨んでいるんだと思いますが、どういう試合にしたいかと訊かれたら?

藤田 まあ、この初防衛戦、対大野選手に関しては、フタを開けてみたら差があったね、一方的に藤田だったなっていう結果で終わりたいですね。

――藤田選手の中で、差をつけて勝つ理想の形というのはあるんですか。

藤田 ありますね。相手のいいところを出させずにフルマークの判定勝ちが僕の中でいちばん差をつけて勝つ、なんですけど、だからと言って判定狙いではなく、その中で倒せるなら行きますし。まあ、何回やっても藤田が勝つな、と思わせるのがひとつの指標かなと思います。

――そういう展開を目指す中で、流れによっては。

藤田 そうです。ただ勝負以上に理想を追うつもりは僕にはないので、勝ちがすべてというのが大前提です。

強打が武器の藤田だがKOへのこだわりはない

――10勝中8KOとKOが多いですが、藤田選手の中でKOというのは?

藤田 僕の中で優先順位1位ではないです。負傷判定でも、ドロドロの判定でも、スプリットでも、引き分けと負け以外だったら合格です。

――とにかく勝つ。

藤田 そこだけです。僕の個人的な考えで、ボクシングは負けを美化しちゃいけないと思ってて。ひとりで戦ってて、藤田負けたで終わりになるならいいですけど、ここまで支えてくれた人たち、親もそうですし、僕以外にも影響があると考えたら、死んでも勝ちにこだわるというのが僕の考え方です。

――いろいろな人が関係しているから。

藤田 それと過去の自分に対して。今、自分は勝つことだけを考えて、生活してますけど、将来の自分が負けてよかったとか言ったら、僕はぶん殴ります。僕に失礼ですよね。

■『ロッキー4』に衝撃を受けて

――ボクシングに惹かれた最初の記憶として残っているのは?

藤田 僕の最初の記憶は、小っちゃい頃にテレビで見た『ロッキー4』だったと思います。作り物ですけど、初めてスポーツで人が死ぬことを知ったんですよ。登場人物が死ぬんですけど。

――アポロですね。

藤田 そうです。それが多分、僕には衝撃的だったのか、なぜそこまでしてスポーツに懸けるんだろうという純粋な疑問と、すべてをさらけ出して1対1で戦うことが単純にカッコいい。小っちゃい頃の話なので、例えば、戦隊ものだとピンチになったら誰かが助けに来てくれるんです。みんなで戦う。でも、ボクシングは違う。リングの中ではお前が強くなきゃ終わる。そのシンプルさに惹かれたのかなと。当時は説明できなかったですけど、今、思えば。

――何歳頃のことですか?

藤田 8歳、9歳ぐらい。本能的に「これだ!」「好きだ!」って、ビビッときたんだと思います。

――そこから早稲田大学に入って、実際に始めるまでのボクシングとの距離感はどんな感じでしたか?

藤田 僕がビビりで、人と違うことをすることが怖かったんで、やる勇気はなくて。日本の教育って、基本的に成績を残しましょう、高校受験しましょう、大学に行きましょうとか、太い道があるじゃないですか。そこから外れることに対して、すごくビビってて。でも、興味はあるし、やってみたいな、ぐらいのふわっとした感覚ですね。

――やってみたいな、でも、という繰り返し。

藤田 はい。中学生のとき、地元(愛知県)の格闘技のジムに1回だけ体験に行ったことがあるんですけど、毎日通うエネルギーというか、自信がない、ボクサーとして成功するイメージがない、みたいな。僕とは別の世界なんじゃないかなぐらいの距離感でした。

――それが一歩踏み出せたのは?

藤田 得意じゃない勉強で早稲田大学に合格したという事実です。好きじゃないことで、ここまで頑張れたんだから、好きなことだったら、すごいところまで行けるんじゃないかっていう期待が自分の中に生まれて。

――ひとつの成功体験になった。

藤田 そうです。で、年齢的にも大学に入ったのが二十歳になる年だったので。遅い、手遅れと言われてもしょうがないと思ってたんですけど。

――大学には1年浪人して?

藤田 いや。高校受験に失敗して、英語が強い高校に入ったんですよ。僕が入ったのは1年留学しないとダメなコースで、オーストラリアに留学したので。1年生、留学、2年生、3年生の高校4年間だったんです。

――そういうことなんですね。

藤田 はい。で、年齢的に始めるには遅かったんですけど、もう21になっても、22になっても、遅いと言われ続けるから「人生でいちばん若いのは今日」という考え方をして、いちばん若い今、「ずっと自分が片想いしてきたものに飛び込まないと死ねない」。そう思って、始めました。

――大学の4年間はどうだったんですか。

藤田 結果から言うと、同じ階級の先輩が卒業するまでレギュラーにはなれなくて。キャリアも10戦ぐらいしかないです。

――7勝3敗ですか。

藤田 そうです。でも、そのうちの半分はジュニア・ルールで、ヘッドギアを着けて2分3ラウンドでやったんで、公式戦とは言えないような。

――そういうのがあるんですね。

藤田 ちょっと基準は覚えてなくて、まだ始めて1年ちょっととかの選手は、そこから始めて、シニアルールに移行するんですけど。高校からやってた選手には4年間じゃ到底届かなかったですね。だから、選手としては全然。水を汲んだり、サポートに回る時間のほうが長かったです。

――同級生には小さい頃からボクシングをやってきた岩田翔吉(帝拳)選手がいたから、彼を見て、他人と比較しないとか、自分のスタンスが決まったのもあるんじゃないですか。

藤田 ああ、あると思いますね。

――プロに対する意識は?

藤田 どうなっても必ずプロボクサーにはなると決めてました。

――大学でうまくいかなくても変わらなかった。

藤田 結局、ロッキーもそうだし、はじめの一歩もそうだし、テレビ中継で見てた人たちも、僕が見てたのはプロボクサーなんですよ。それが理想の姿ではあったので。プロボクサーとして生きた事実がないと僕は多分、死ねない。そう思ってました。

■プロボクサーとサラリーマンの両立

――藤田選手といえば、リクルートで働く会社員との両立で知られていますが、就職するかどうかの葛藤はなかったですか。

藤田 ありました。ギリギリまでボクシング一本でやるべきなんじゃないかと思ってましたね。ただ、大学に入ったときって、みんな、最初は夢を語るんですよ。経営者になりたいとか、芸能人になりたいとか、いろいろ言うやつがいるんだけど、就活シーズンになったら一言もそういう話をしなくなる。

――みんな、就職に向かっていく。

藤田 僕だけなんですよ。プロボクサーになりたいって言い続けてたのは。つまんねーって、めっちゃ思って。なんで夢か、就職かの2択なんだろう、そんなに両立って無理なの? と思ったら、どっちもやってやろうと思って。

――実際、両立はどうでしたか。

藤田 甘くなかったです。僕の実力のなさなんですけど、1年目は、会社だけに隕石が落ちないかなとか、会社だけに地震が起きないかなとか、毎日のように考えてました(笑い)。だから、1年やったら、サラリーマンは辞めてやるぐらいの。

――社会人1年目にデビューしてますよね。

藤田 はい。デビューしたのが(2018年)11月で、4月に入社して、結構、経ってるじゃないですか。大変だったけど、何とか両立して、KO勝ちして、最高の結果で終われたなと。

――1年、両立できたし、辞めようと。

藤田 はい。でも、当時の僕がお世話になっていたチームの上司に言われて。「俺はお前が両立してるとは微塵も思ってない。今までいろいろな人に迷惑をかけてるのを見てるし、それだとボクサーが社会人やってるだけで、俺は両立とは認めない」。で、「確かにボクサーとしてのお前はカッコいいと思うけど、社会人としてはダサいと思う」と。

――はっきり(笑い)。

藤田 ま、笑顔で(笑い)。厳しくじゃないんですけど、それがめちゃくちゃ悔しくて。そこから社会人としての自分をちゃんと考えないとダメだと思って、朝から晩まで24時間、何をするかを真剣に考え始めました。

――社会人としての時間、ボクサーとしての時間はこれだけだから、どう有効に使うか。

藤田 はい。でも、まだ経験値がない分、仕事の構造が理解できてないから、どの仕事に時間がどれぐらいかかるか、どういう問題が起こり得るか、想定もできないから、睡眠時間は3時間とか、そこで解決するしかなくて。結局、社会人として自立できるまで丸1年かかりました。

――しかも新人王戦を勝ち上がっている年ですよね。

藤田 いちばん忙しいときでした。3、8、9、11、12月に試合があって。で、当時の僕はケガも多かったんで。

――実は大変な1年だったんですね。

藤田 もう1回やれと言われたら、無理ですね。で、その上司の方が新人王真っ只中の秋に異動されることになって。その送別会のときに言われたのが「藤田は正直、最初はどうしようもねえやつだった」と(笑い)。「けど、今は胸を張って、1人前と言えるし、俺が強く推したい人間です」と。ボクサーでも、社会人でもなく、人間と言ってくれたのが嬉しくて。今でも覚えてます。

コンビを組む椎野トレーナーと

■一撃で終わる可能性もあるマッチアップ

――今後も両立しながら?

藤田 自分が思ってたのは、チャンピオンを卒業証書と捉えて、ボクシング一本で生きていく選択肢を真剣に考えようと決めてたんですけど。まだ全然、具体的には何も。

――もしかしたら、最初に話してくれたように国内で超えるべき相手を倒して、本物のナンバー1と自分も周りも認めるようになってからなんですかね。

藤田 はい。それが目標ですね。今の。藤田は間違いないって言われるようなチャンピオンになること。そう考えると余計に次は負けられないし、危険な相手だなと同時に思ったりもしますね。

――お互いに一発で展開を変えてしまう可能性のある武器があるから。

藤田 そうなんですよ。お互いに理不尽なものを持ってるんで。

――全日本新人王決定戦では先に2度倒しながら逆転KO負けで、湯場戦では2度倒されながらも逆転KO勝ち。両方を経験しているのも経験値として大きいのでは。

藤田 そうですね。でも、僕の中では逆転というよりパターンなんですよ。倒されたら、こうする。そういうパターンのひとつ。前日のノートにも書いてあるんです。こうなったら、こうするとか。

――最終目的地を勝利として、そこにたどり着く道はいくつもあって、それをノートに書き記して、イメージしておくんですね。

藤田 そうです。そのうちのひとつです。ただ、最初に言ったように決して求めてるパターンではないですけど(笑い)。

――いちばん険しい道ですよね(笑い)。

藤田 はい(笑い)。でも、そうやって競り勝ってきた部分もあるので。

――では、最後に次の初防衛戦、どういうところを見てもらいたいですか。

藤田 S・ライト級は危険な階級で、その中でも今回は一撃で終わる可能性もあるマッチアップだと思うので。僕がやられるもしれないし、相手がやられるかもしれない。そういう真剣勝負の緊張感を見てもらいたいですね。

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