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ヨネクラジム会長 “チャンピオン・メーカー”米倉健司さん死去 選手としてオリンピック出場

2023年4月21日 22時01分

 ヨネクラジム会長で全日本ボクシング協会の会長も務めた米倉健司さんが20日、死去した。88歳だった。葬儀は家族葬で執り行われる。ヨネクラジムOBの大橋ジム、大橋秀行会長が21日明らかにした。

晩年もセコンドに入り続けた

 福岡県出身の米倉さんは福岡高でボクシングを始め、明治大学在学中に全日本選手権フライ級で優勝し、1956年開催のメルボルン五輪に出場して3回戦まで進んだ。アマ71勝7敗の戦績を残して58年にプロに転じると、いきなり日本フライ級王者の矢尾板貞雄と6回戦エキシビションを行って話題に。3戦目で矢尾板の日本王座に挑み、破れはしたものの58年の年間最高試合に選ばれた。

 59年にプロ5戦目で日本フライ級王座を獲得。同年8月、白井義男に次ぐ日本人2人目の世界王者を目指し、東京体育館で世界フライ級王者パスカル・ペレス(アルゼンチン)に挑むも敗退。翌年5月、階級を上げて後楽園球場でバンタム級王者ジョー・ベセラ(メキシコ)に挑むも及ばなかった。

1960年にベセラに挑んだ米倉(右)

 その後、東洋バンタム級王座を5度防衛するなどトップ選手として活躍。62年10月、青木勝利に敗れて引退してグローブを壁に吊した。

4人目の世界王者、大橋秀行と

 翌年、ヨネクラジムを開設し、指導者として手腕を発揮し、チャンピオン・メーカーの名をほしいままにした。70年の柴田国明を皮切りに、ガッツ石松、中島成雄、大橋秀行、川島郭志を世界チャンピオンに育て上げたほか、日本王者31人、東洋太平洋王者9人を輩出した。86年から4年間、全日本ボクシング協会(現日本プロボクシング協会)の会長を務めた。

 半世紀以上、更新の指導に情熱を注いだ米倉さんは2017年に高齢を理由にジムを閉鎖。その後は栃木県内の施設に入って療養生活を送っていた。死因などな明らかになっていない。

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